Aude sapere

Organonの表紙を開けると中表紙に次のように書かれています。

Organon

der Heilkunst

Aude sapere

6 Auflage

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ここでは
この
Aude sapere
について簡単に説明したいと思います。


Aude sapereは、
ハーネマンが大きく影響を受けたドイツの哲学者カントの書
Aufklärung(英語ではenlightmentの意味;カント著『啓蒙とは何か』 岩波文庫)
に記載されているSapere audeから引用しています。


ちなみに
本の題名Aufklärungは、
日本語では「啓蒙」と訳されていますが、
カントの意図した題名は「霊的覚醒」ですので、
このように理解する方がよりスムーズに読めると思います。

この成句は、
古代ローマ時代の詩人として有名なクィントゥス・ホラティウス・フラックスが
詩の中で使っていた言葉です。



この用語は、
エドガー・ケイシーのリーディングからのリーディング情報を踏まえて次のように解説すると、
わかりやすいと思います。

「人間は、
もともとは神の一部であり、
万物万象と調和し、神の属性を反映していました。
人の魂は、
最初は霊的次元に留まり、
神の想念の内に留まっていたといいます。

時間が経るに従い、
自己意識が生まれ、
自分の可能性を外に向けて表現したい欲求が生まれました。

しばらくの間は、
魂の活動は神の創造目的から逸脱することはありませんでしたが、
人の魂が自分の能力に対する興味が徐々に強まり、
それにつれて自ら神の意志から逸脱するようになっていきました。

物理的宇宙で展開される生命現象を霊的次元から観察していた一部の魂たちは、
この現象に引き寄せられていき、
好奇心旺盛な一群の魂が、物質次元に降下していきました。

長い間に魂は人間として物質界で活動する内に神から離れ、
その神性を失っていきました。」





これは人間自身が自ら招いた状態であり、
この状態にある原因は
人間の神性の欠如ではありません。

カントは、
人はその奥に内在する神性を持ちながら、
自ら悟りを目指す意志を示さず、
誰かがいつか導いてくれるだろうという考えに甘んじている
と考えました。


物質界での誘惑に身を任せ、
自らの神性を省みない状態になっているからです。


つまり
神性を思い出そうとする決意と勇気を欠くことが問題であるとカントはいいます。



それゆえ、
Audeは勇気を持って、思い切ってという意味、

Sapereは賢いという意味

がありますので、

Aude sapere勇気を持って賢くなれ、


つまり
自ら他人の情報だけに甘んじているのではなく、
自分自身で考えて勇気を持って新しく生きた知恵を持ちなさい

というメッセージになります。






ある賢者が
この世界はサムサーラといいました。

サムサーラは
サンスクリット語で輪、輪廻を意味します。

サムサーラは、
釈迦のように輪から解脱できた人が
外からその様子を見て初めてそれが輪であると気付くものです。

人々は輪のようにこの世界に輪廻転生を繰り返します。

それをほとんどの人が疑問に思うことなく、
輪の中で安住してしまうと輪から抜け(解脱)ようという努力をしようとしないだけでなく、
それに気付くことさえもなくなります。



ハーネマンが言いたいのは、

常に注意深く賢くあれば、
既存の習慣から抜け出せる、

つまり、
既存の知識を得て満足するだけでなく、
さらに進歩することが可能である
ということを言いたかったのだと思います。


ハーネマンは
Organonの冒頭でこの言葉を敢えて書いたのも

この本を読むたびに、
それに盲従するのではなく、
自分自身でこの本の内容をよく考えて、
自分自身で確かめなさい

という贈る言葉なのです。

何故なら、物
事の本質は決して的確な言葉ですべてを表現できないからです。

有限の言葉で、無限の叡智を表すことはできません。



これを的確に表す表現に
日本では
「拈華微笑」 (ねんげみしょう)

という美しい言葉があります。

これは
釈迦が法華経や無量寿経を説いたとされているインドのビハール州の霊鷲山において
説法した時の逸話から出た言葉です。

釈迦は、
弟子たちの前で無言のまま1本の草花を手に取ると、
それを拈(ひね)りました。

その後も
釈迦の無言は続きます。



弟子たちは、
釈迦の意図するところが理解できないまま沈黙していましたが、
その中の一人迦葉(かしょう)だけは理解して僅かに微笑したのです。


釈迦は、
その微笑を見て
弟子たちに

「迦葉の心に私の悟りの心が伝わった。」

と述べたという逸話が残されています。

これは、
物事の真髄に存在する無限の真理、
言葉で表現不可能な深い叡智は、
言葉で表すだけでは不完全であり、
また完全に理解できるものではない、


学んだ知識が身につき知恵となるためには体験を通して気づくことが必要であり、
説法だけからではなく
自らの知恵で悟ることが重要である、

という釈迦の思いが込められたものだったのです。


この迦葉は
普段から地道に心を込めて修行を行う勤勉さがあったと言われています。

有限の言葉で表現された知識に安住することなく、
一瞬一瞬注意深く賢くあることによって、
さらにそれを昇華することが出来るということを的確に表しています。





これは
そのまま日々の臨床においても同様です。

本で読んだ知識は、
実際に治療した経験を通したあとでは、
同じ知識に文字では表せない生きた感覚が加わった智恵になります。


これは
一人一人の思慮深い体験と忍耐と強い意志を通した結果であり、
なかなか上手く表現出来ないものです。

始めのきっかけは知識から始まりますので、
それを昇華できるかどうかは本人次第ということになります。


ハーネマンは、
ホメオパシーを正しい医療として
多くの人に探求して欲しい

という思いを

Aude sapere

に込めたのでしょう。



文責:森井啓二


引用

臨床家のためのホメオパシーノート 基礎編 (Nanaブックス)
森井 啓二
ナナ・コーポレート・コミュニケーション
2010-09-18