ホメオパシーの普及には
疫病の治療が大きく影響しました。

ホメオパシーが確立されてすぐの頃、
1813
年に
腸チフスの流行が起こりました。

当時腸チフスは
致死的な疾患として怖れられていました。


ハーネマンは、
180人の腸チフスをホメオパシーで治療し、
亡くなった患者はたったの2人でした。

そのうちの1人は
罹患時にはすでに高齢で衰弱していたそうです。


この一件で、
ハーネマンの名声はヨーロッパ中に広がりました。。


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その後、
1829年よりヨーロッパに流入したアジア型コレラが、
1831年にドイツでも流行が始まりました。

ハーネマンの時代には、
アジア型コレラは治療した場合と無処置の場合の死亡率は同じとういう
当時の医学にとって致死的な病気の一つでした。


ハーネマンは、
すぐに予防と治療のためのホメオパシーの指示書を作り上げ、

多くの医師に伝えました。

このホメオパシー治療により、
治癒率が大きく高まりました。


疫学研究報告によると、
コレラ患者全体の死亡率が46%(一般病院治療の死亡率は40% (Imperial Council of Russia) から80% (Osler’s Practice of Medicine)まで地域と病院により大きな差がありました)でしたが、

ホメオパシー治療を受けたグループの死亡率は
19%まで下がったと報告されています。


ハーネマンが治療した患者154人中では6人死亡でした。

当時の一般治療の報告1501人中640名死亡から見ると、
かなりよい成績であったといえます。


同様に
ロシアでのコレラ患者では、
ホメオパシー治療患者1270人中死亡は108人と、
当時のロシアでの医療では致死率60%以上といわれる中でよい成果でした。



1854年に英国で発生したアジア型コレラの疫学調査によると。
当時のコレラ患者全体のうち一般治療を受けた患者の死亡率59.2%に対して、
ホメオパシー治療を受けた患者の死亡率は9%であった
との報告もなされています。




文責:森井啓二


引用

臨床家のためのホメオパシーノート 基礎編 (Nanaブックス)
森井 啓二
ナナ・コーポレート・コミュニケーション
2010-09-18