ジェームス・コンプトン・バーネット


著名なホメオパシーの医師です。

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バーネットは、
ホメオパシー医になったきっかけを
著書の一つ「ホメオパシー医になった5つの理由」
の中で次のように述べています。

バーネットが医師として勤務していたグラスゴーの病院に、
病院の職員たちに可愛がられて小さなジョージLittle Georgieの愛称で呼ばれる孤児の患者が長期入院していました。

彼は、暖かいベッドに寝ていましたが、
ある時急患が来たために、
ジョージは窓際の寒く冷たいベッドへと動かされたのです。

寒く冷たいベッドへ移されたジョージは、
そのことが原因して
胸膜炎を引き起こして亡くなってしまいました。


バーネットは、
この件にひどくショックを受けました。

バーネットは
半ば医師を辞めてアメリカに渡り、
農業をやる決意をしたのですが、

その夜
友人の医師と食事をして、
事の顛末を話しました。

すると友人は、
とりあえずホメオパシーを勉強して病院の子供たちに使ってみたらどう?と言いました。


バーネットは
勧められた入門書としてリチャード・ヒューズ
の「A Manual of Pharmacodynamics」と「Therapeutics」を1-2週間かけて勉強しました。

本を読んだ限りでは素晴らしい内容だったものの、
ホメオパシーに対する疑念は強くあったようです。


そして
バーネットは、ホメオパシーが本当に効果があるのか確かめるために
病院に入院している片側の病棟にだけAconite溶液を与える決心をし、
もう片側は通常の治療を行いました。

回診の時に
Aconiteを投与した子供たちは
ほとんど皆元気でベッドの上で遊んでいました。

麻疹にかかった子だけは治らず別室に送られました。
それはAconiteの適応症ではなかったからでした。

もう一方の通常の医療を行っている病棟の結果は悪く、
病状に変化がありませんでした。

看護士たちは
この効果に一早く気づいてAconite溶液に”Dr.Burnett’s Fever Bottleバーネット先生の熱の薬瓶と名づけたほどです。

そして
バーネットがある土曜日から火曜日まで休んでいるうちに、

看護士たちは
内緒ですべての熱病の子供たちにこのバーネット先生溶液をあたえてしまったのでした。

バーネットが病院に戻ってくると、
すべての子供たちの病状が回復していたのです。


看護士は、
これ以上バーネットがホメオパシーを使わない実験をしたら子供たちがかわいそうだと考えていました。

これは
バーネットにとって嬉しく衝撃的な出来事でした。
これは彼のホメオパシー医になった理由その1です。
また別の機会に残りの4つをご紹介しましょう。




もう一人
ホメオパシーで著名な米国のジェームス・タイラー・ケント医師は、

医師として開業していた当初はホメオパシーをバカにしていました。

ある時、
ケントは、自分の妻の病気を治すことが出来ない時に、
妻はホメオパシー医にかかりました。

ホメオパシー医が彼女を治してしまったということが、ケントには衝撃的で
ホメオパシーを使うきっかけになっています。




文責:森井啓二


引用

臨床家のためのホメオパシーノート 基礎編 (Nanaブックス)
森井 啓二
ナナ・コーポレート・コミュニケーション
2010-09-18